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第20回 敗戦記念日に戦争について考えてみる
さて、今年もこの日がやってきた、8月15日である。
今から64年前、日本は戦争に負けた。連合国に降伏したのである。
それから、日本は一度も戦争していないらしい。
俺も完全な戦後生まれ、戦争を知らないおっさんである。20年前は子供だったが。
ベビーブームにもかすっていない、団塊でもないのだ。
ゆとり教育世代、よりは少し上かな、週休2日制は大学に入ってからだったし。
で、今日のテーマ、戦争。俺の中のイメージは、国と国との喧嘩。殴りあう体が無いから、国民が肩代わりしてるの。
善か悪かで言うと、悪だと思う。できるなら、無くなってしまえばいい。戦争反対!!と叫んでる人もいることだし。
ま、無くならないんだろうけどね。戦争がなくなったら、恐らく世界規模での不況が起こるんじゃないかな。兵士は失業、兵器製造業は商売あがったりになるねえ。
必要悪、と考えると、これもまたややこしい。確かに、よその国が勝手に戦争起こして、こっちには被害の出ない状況なんてものは、大変ありがたい状況だよ、実際朝鮮戦争なんざ、日本の復興に大きく貢献してくれたんだから。せっかくなら、そのまま滅びてたらよかったのに
そういえば、昨日テレビで「ほたるの墓」やってたなあ。今年は泣かなかった、いつも、あれ見ると泣いちゃってたんだけど、今回は全然。泣いていた理由が、女の子がかわいそうだからなのか、戦争が生んだ悲劇なのか、だらしない日本人への悔し涙なのか、そんなことを考えながら見てたら、全く泣かなかった。
普通の家庭で、あれを見た後、戦争について話し合ったりするのだろうか。俺の家では両親も戦後生まれ、戦死した近い親戚も居ないみたいなんで、親の話にも説得力がない。戦後の混乱期が終わったころからの記憶しかない親の話では、実際の戦中、戦後の大変さは伝わってこない、せいぜい、紋切り型の、大変だったんだろうねえ、とか、今の時代は幸せだ、とかさし障りの無い感想しか出ない。
6歳ぐらいの頃だったか、「はだしのゲン」のアニメを見た後、母親と「今から戦争が起きたらどうするか」と問われて、「アメリカに特攻する」と答えた記憶がある。えらい怒られたと思う。
戦争はしてはいけないものだ、と母は刷り込まれていたのであろう、今ならわかる。でも、その当時は、そんなことわからずに、大人はだらしないと思った。売られた喧嘩は買わねばならぬ、喧嘩売られて黙ってるのは負け犬のすることだ、そう思っている、今でも。
ま、戦争という大規模なことになると、個人の喧嘩と違って、いろいろ制約もあるだろうから、簡単に宣戦布告するわけにはいかないだろうが、正々堂々と宣戦布告する国であってほしい。
さて、せっかく、この日に書くんだから、一般的な戦争じゃなくて、太平洋戦争、大東亜戦争、について考えようではないか。
今の政治家、マスコミは、戦争とういう言葉だけで、思考停止してるんじゃなかろうかと、思ってしまうほど、戦争を否定し、戦時中に日本軍がどんな悪いことをしたかを探し出し、謝罪の種を探しているようにしか見えない。
暇にまかせて、国営放送の特集などを見てきたのだが、戦争に行って帰ってきた人たちのコメントが不自然に統一されているのだ。
どんな悪いことをして、その罪の意識を背負ってるだとか、申し訳ない気持ちだとか、戦争否定。そりゃあ、一緒に戦地に赴いて戦った仲間が戦死してるわけだから、生き残って申し訳ないって気持ちになるのは理解できるのだが、なんかおかしい。
某ミュージシャンの父親との対話特集みたいなのを見て、何がおかしいか分かった。
国営放送に出てた人たちは、戦争は悲惨ですよ、罪の意識に悩みますよ、戦争はいけません、平和が一番です。みたいな、それこそ紋切り型のコメントしかしてないのよ。
恐らく、インタビューの仕方にもよるんだろうけど、編集で、そういう部分だけをつなぎ合わせたんじゃなかろうか。
某ミュージシャンと、その父親のやり取りがそれを思いつかせてくれた。兵士として、戦地に赴き、生き延びてきたってことは、後ろめたいことの一つや二つ、いや、山ほどあるだろう。
当時の日本軍の考え方ならば、生きて帰ること自体に、生き残ったこと自体に、罪悪感を感じさせるような思想が有ったんだから。
そりゃあ、戦地への赴き方もいろいろあるだろう、元々軍人希望だった人、赤紙に逆らえず、いやいやでも来てしまった人、故郷や家族を守るため、赤紙に従った人、どういう風に来たかは問題ではないと思うが、生き残っている人が戦争体験を話すのなら、その経緯も話してほしいものだ。
いやいや来た人間と、すすんできた人間では、ものの考え方、受け止め方が違うと思う。それを無視して、結論だけ出すのはいかんと思う、特にテレビなんだし。
で、太平洋戦争、これ自体、悪だとする風潮にははっきり、否と言いたい。今の価値観で、そんな昔のこと判断するなよ。その時の最善の判断だったと思うよ。少なくとも、その時に生きて無かった俺たちに発言権は無いだろう。それを結果を知っているから余計に、戦争をしてはいけないと言い出すなんて、卑怯者ではないだろうか。
あと、戦争犯罪って何よ?戦地で人を殺すのはお互いさまじゃないの?負けた方だけに責任が発生するわけ?戦地で戦死者が出るのは仕方ないことでしょうが。当たり前のこともわからんのか、社会党。
これからの政治家には、中の国や、韓の国、北の国とかにも、「ガタガタ抜かすなら、もう一回日本の国土にしてやろうか」ぐらいの気概を持って対応して欲しいものである。
謝罪、賠償はきりがない、先述の3国は国じゃないぞ、ありゃ、ヤクザみたいなもんだ、たかりに終わりはない。あんな国、滅んでしまえばいいのに。
あと、被爆国としての義務、果たしてます?原子爆弾の被害、ちゃんと伝えてます?
アメリカの実験場じゃないんだから、国として賠償求めるとか、謝罪求めるとか、やれよ。なんなら、アメリカに落としてもらったら一番わかりやすいのかな、中東のテロの方たち頑張れ。そういえば、日本の政治家の「友達の友達」がそうだったっけ。
今の時代に、新たに戦争を始めることは悪いと思う、それでも、あの、太平洋戦争は、否定してはいけない、負けてしまったのは残念だが、その後、日本は這いあがったし、アジア諸国の独立、アフリカ諸国への独立への布石になったではないか。
韓の国、中の国、日本軍が攻めて、占領した後、インフラの整備とかもしたんだぞ、軍事的な目的もあっただろうが、それを今でも利用してるところもあるんだぞ。そこまで考えて、まだ謝るというのか、金払うというのか、戦死した人たちを蔑ろにするというのか。
いやいや死んでいった人も少なくないだろう、でも、たとえ、軍に洗脳紛いのことをされてたとしても、故郷を、国を、そして、家族を守るために死んでいった人を蔑ろにするようなことをしていいのか。
政治家よ、外務省の役人よ、頭使え、良く考えろ、お前らは日本をどう考えているんだ。
来年こそは、靖国神社に参拝して欲しい、閣僚全員、省庁のトップ勢ぞろいで。
靖国の英霊に恥じることのない、日本に対する真摯な気持ちを持って。
中の国、韓の国、ガタガタ抜かした場合は、「攻め込むぞ」この一言言うだけでいい、相手は何もできないさ、弱い犬ほどよく吠える。こっちが強気に出たら、引くに決まっている。この際攻め込んでしまって、日本の領土広げるのもいいかもしんない、その方が景気も良くなるだろうし。
さて、結論だが、戦争することは良くない、でも、せなあかん時もある。その時に何もせんと占領されたら、それは馬鹿な国である。社会党、わかってるか?お前らのことだぞ。
で、今戦争が起こったら、どうするか、俺は戦う。故郷や国なんかよりも、もっと大事な人がいる。その人を守るため、俺は戦地に赴き、戦い、絶対生きて帰ってくる。運が悪いから戦死するかもしんないけど、その場合は英霊となって、彼女を守るよ。そうならないように努力はするけど。
命より、大事なもの、それを守るための戦争、俺は反対はしない。
こんな考え方、少しおかしいかもしんないけど、おかしいのは元から、わかってる。
今から64年前、日本は戦争に負けた。連合国に降伏したのである。
それから、日本は一度も戦争していないらしい。
俺も完全な戦後生まれ、戦争を知らないおっさんである。20年前は子供だったが。
ベビーブームにもかすっていない、団塊でもないのだ。
ゆとり教育世代、よりは少し上かな、週休2日制は大学に入ってからだったし。
で、今日のテーマ、戦争。俺の中のイメージは、国と国との喧嘩。殴りあう体が無いから、国民が肩代わりしてるの。
善か悪かで言うと、悪だと思う。できるなら、無くなってしまえばいい。戦争反対!!と叫んでる人もいることだし。
ま、無くならないんだろうけどね。戦争がなくなったら、恐らく世界規模での不況が起こるんじゃないかな。兵士は失業、兵器製造業は商売あがったりになるねえ。
必要悪、と考えると、これもまたややこしい。確かに、よその国が勝手に戦争起こして、こっちには被害の出ない状況なんてものは、大変ありがたい状況だよ、実際朝鮮戦争なんざ、日本の復興に大きく貢献してくれたんだから。
そういえば、昨日テレビで「ほたるの墓」やってたなあ。今年は泣かなかった、いつも、あれ見ると泣いちゃってたんだけど、今回は全然。泣いていた理由が、女の子がかわいそうだからなのか、戦争が生んだ悲劇なのか、だらしない日本人への悔し涙なのか、そんなことを考えながら見てたら、全く泣かなかった。
普通の家庭で、あれを見た後、戦争について話し合ったりするのだろうか。俺の家では両親も戦後生まれ、戦死した近い親戚も居ないみたいなんで、親の話にも説得力がない。戦後の混乱期が終わったころからの記憶しかない親の話では、実際の戦中、戦後の大変さは伝わってこない、せいぜい、紋切り型の、大変だったんだろうねえ、とか、今の時代は幸せだ、とかさし障りの無い感想しか出ない。
6歳ぐらいの頃だったか、「はだしのゲン」のアニメを見た後、母親と「今から戦争が起きたらどうするか」と問われて、「アメリカに特攻する」と答えた記憶がある。えらい怒られたと思う。
戦争はしてはいけないものだ、と母は刷り込まれていたのであろう、今ならわかる。でも、その当時は、そんなことわからずに、大人はだらしないと思った。売られた喧嘩は買わねばならぬ、喧嘩売られて黙ってるのは負け犬のすることだ、そう思っている、今でも。
ま、戦争という大規模なことになると、個人の喧嘩と違って、いろいろ制約もあるだろうから、簡単に宣戦布告するわけにはいかないだろうが、正々堂々と宣戦布告する国であってほしい。
さて、せっかく、この日に書くんだから、一般的な戦争じゃなくて、太平洋戦争、大東亜戦争、について考えようではないか。
今の政治家、マスコミは、戦争とういう言葉だけで、思考停止してるんじゃなかろうかと、思ってしまうほど、戦争を否定し、戦時中に日本軍がどんな悪いことをしたかを探し出し、謝罪の種を探しているようにしか見えない。
暇にまかせて、国営放送の特集などを見てきたのだが、戦争に行って帰ってきた人たちのコメントが不自然に統一されているのだ。
どんな悪いことをして、その罪の意識を背負ってるだとか、申し訳ない気持ちだとか、戦争否定。そりゃあ、一緒に戦地に赴いて戦った仲間が戦死してるわけだから、生き残って申し訳ないって気持ちになるのは理解できるのだが、なんかおかしい。
某ミュージシャンの父親との対話特集みたいなのを見て、何がおかしいか分かった。
国営放送に出てた人たちは、戦争は悲惨ですよ、罪の意識に悩みますよ、戦争はいけません、平和が一番です。みたいな、それこそ紋切り型のコメントしかしてないのよ。
恐らく、インタビューの仕方にもよるんだろうけど、編集で、そういう部分だけをつなぎ合わせたんじゃなかろうか。
某ミュージシャンと、その父親のやり取りがそれを思いつかせてくれた。兵士として、戦地に赴き、生き延びてきたってことは、後ろめたいことの一つや二つ、いや、山ほどあるだろう。
当時の日本軍の考え方ならば、生きて帰ること自体に、生き残ったこと自体に、罪悪感を感じさせるような思想が有ったんだから。
そりゃあ、戦地への赴き方もいろいろあるだろう、元々軍人希望だった人、赤紙に逆らえず、いやいやでも来てしまった人、故郷や家族を守るため、赤紙に従った人、どういう風に来たかは問題ではないと思うが、生き残っている人が戦争体験を話すのなら、その経緯も話してほしいものだ。
いやいや来た人間と、すすんできた人間では、ものの考え方、受け止め方が違うと思う。それを無視して、結論だけ出すのはいかんと思う、特にテレビなんだし。
で、太平洋戦争、これ自体、悪だとする風潮にははっきり、否と言いたい。今の価値観で、そんな昔のこと判断するなよ。その時の最善の判断だったと思うよ。少なくとも、その時に生きて無かった俺たちに発言権は無いだろう。それを結果を知っているから余計に、戦争をしてはいけないと言い出すなんて、卑怯者ではないだろうか。
あと、戦争犯罪って何よ?戦地で人を殺すのはお互いさまじゃないの?負けた方だけに責任が発生するわけ?戦地で戦死者が出るのは仕方ないことでしょうが。
これからの政治家には、中の国や、韓の国、北の国とかにも、「ガタガタ抜かすなら、もう一回日本の国土にしてやろうか」ぐらいの気概を持って対応して欲しいものである。
謝罪、賠償はきりがない、先述の3国は国じゃないぞ、ありゃ、ヤクザみたいなもんだ、たかりに終わりはない。あんな国、滅んでしまえばいいのに。
あと、被爆国としての義務、果たしてます?原子爆弾の被害、ちゃんと伝えてます?
アメリカの実験場じゃないんだから、国として賠償求めるとか、謝罪求めるとか、やれよ
今の時代に、新たに戦争を始めることは悪いと思う、それでも、あの、太平洋戦争は、否定してはいけない、負けてしまったのは残念だが、その後、日本は這いあがったし、アジア諸国の独立、アフリカ諸国への独立への布石になったではないか。
韓の国、中の国、日本軍が攻めて、占領した後、インフラの整備とかもしたんだぞ、軍事的な目的もあっただろうが、それを今でも利用してるところもあるんだぞ。そこまで考えて、まだ謝るというのか、金払うというのか、戦死した人たちを蔑ろにするというのか。
いやいや死んでいった人も少なくないだろう、でも、たとえ、軍に洗脳紛いのことをされてたとしても、故郷を、国を、そして、家族を守るために死んでいった人を蔑ろにするようなことをしていいのか。
政治家よ、外務省の役人よ、頭使え、良く考えろ、お前らは日本をどう考えているんだ。
来年こそは、靖国神社に参拝して欲しい、閣僚全員、省庁のトップ勢ぞろいで。
靖国の英霊に恥じることのない、日本に対する真摯な気持ちを持って。
中の国、韓の国、ガタガタ抜かした場合は、「攻め込むぞ」この一言言うだけでいい、相手は何もできないさ、弱い犬ほどよく吠える。こっちが強気に出たら、引くに決まっている。
さて、結論だが、戦争することは良くない、でも、せなあかん時もある。その時に何もせんと占領されたら、それは馬鹿な国である。
で、今戦争が起こったら、どうするか、俺は戦う。故郷や国なんかよりも、もっと大事な人がいる。その人を守るため、俺は戦地に赴き、戦い、絶対生きて帰ってくる。運が悪いから戦死するかもしんないけど、その場合は英霊となって、彼女を守るよ。そうならないように努力はするけど。
命より、大事なもの、それを守るための戦争、俺は反対はしない。
こんな考え方、少しおかしいかもしんないけど、おかしいのは元から、わかってる。
第19回 コンプレックス?ああ、ミネラルウォーターの?
はい、今夜も寝られない。と、いうわけで、コンプレックスについて書こうと思う。
日本語に直すと、劣等感になるのかな。
さて、俺自身のコンプレックス、ズバリ「顔」である。もっと男前やったらなあ、と涙で枕を何回濡らしたことか。
全くモテない、これでもかって言うほどモテない。なんか前世でえらい悪いことでもしたんか、って言うほどモテない。もしや先祖の業の影響か、って思うほどモテない。
「男は中身だ」なんてことを何回言われただろう、全然信じていない、信じられない。大体、そういうことを云う奴にはたいてい彼女がいる。上から目線の発言なのである、信じろっていう方が無理だ。
じゃあ、この顔で産まれてみなさい、これまでの人生送ってみなさい、そんな気休め言えなくなるから。それをやってから口をきけってんだ。
昨今の世間の恋愛至上主義は、俺のようなモテない人間には住みにくい。彼女、嫁の居る人間が勝者、居ない人間が敗者なのだから。
では、どうすればモテるのか?ガキの頃は勉強を頑張った。ああ、地元でも有数の進学校に通ったよ。高校では野球をした。野球好きなのもあったが、モテると思って始めたのも否めない。
結果、モテなかったよ。不細工は何やってもダメだってこと、それがわかった。
「今は誰とも付き合うつもりはない」って俺を振った子が、同じクラスの男前と手をつないで帰るのを目撃したこともある。頭の偏差値ではなく、顔の偏差値がものをいう世界なんだと分かった。
でも、誰かを好きになることは止めなかった、止められなかった。何人に振られようとも、俺の良さがわかる相手が見つかるなんて思ってた。
彼女がいる奴は敵だと思っていた。あからさまな敵視である。とくに男前な奴は口もきかなかった。
何回親を恨んだだろう、同じ遺伝子をついでいる弟はモテるのに、なぜ俺はモテないんだと。
一番悲惨な経験は、クリスマスイブの夕方、仕事でジャスコに商談に行った際、店の中はカップルだらけ、マシンガンがあれば、迷わず乱射していたと思う。一歩、一歩、歩くたびにダメージを受ける。商談相手に「寝不足?」と聞かれるほど眼が赤くなっていたのだ。
大体。カップルを見たら、俺を馬鹿にしていると思う。「お前にはこんなことできないだろう?」と上から目線で見せつけられていると思ってしまうのだ。悔しい、決して羨ましいとは認めない、ただ、馬鹿にされているのが悔しい。被害妄想だとは分かっている、しかし悔しいではないか。馬鹿にされているのに何もできないことが。彼女連れを殴ったら解決するわけでもなく、「つまらぬ物を殴ってしまった」とか思うだけなのだろうが。
「悟り」を開いたら、こんな気持ちにもならないのかなあ、とか思ったが、こんな理由で開かれたら、お釈迦さま以下、過去の賢人と言われた人々に申し訳がない気もする。
二次元に逃走しようとしたこともあるが、所詮、あれは絵だ。俺には無理だった。
しかし、なぜ、モテないのか。たくさんにモテなくてもいい、一人から好きになってもらいたいだけなのに。そんなささやかな望みすら叶わないことに絶望し、死のうと思ったこともある。
生まれ変わったら、絶対男前に生まれてやる、それよりも、怨霊となって、世の中のカップルたちに復讐してやろうとか考えていたこともある。陽気な心霊写真に写ってやるとか。怨霊になれる自信がなかったので、自殺はしなかったのだが。
大学に入ってからも、やはりモテなかった。女の子が多いという理由で、英会話サークルに入ったが、顔が悪いと、相手にもされない。
いつもつるんでいるのは男ばかり、その中で彼女ができた奴は外れていった。俺の機嫌が悪くなるからである。見下されてると感じるからである。そういう奴は、紹介しようとも思わないらしく、俺の姿をみると逃げるように去っていくのだ、困ったものだ、俺だって、別にすぐには殴ったりしないというのに。
しかし、そんな中にも、俺も女性と付き合うことができた。大学2年の時だ。理由は、「自分より背の高い人がなかなかいないから」という175センチの同い年の女性。
185ある慎重に感謝した。親父が180ちょい、おふくろが170ちょいある俺の両親に生まれて初めて感謝した。すぐに別れてしまったが。
しかし、一度は好きになってもらえたわけだ、この顔でも。別れた時はショックだったが、でも、この顔でも生きていけると思った。
大学を出て、社会人になってからは、強く結婚願望を持っていた。30歳までには結婚していたいと、ある意味強迫観念みたいなものを持っていた。
しかし、結果的に、今、31歳であるが、いまだ独身である、一応、彼女はいるのだが。
30歳になった時は、結婚を諦めた。まず、相手がいない、そして、30過ぎてから恋愛するのが恥ずかしいと思っていたのだ。いい歳こいて何やってんだ、と。
諦めた瞬間、まるで、憑きものが落ちたように気が楽になった。重荷を背中からおろしたというのか、自分をは医者だと認めることに抵抗が無くなった。何と言い訳しても、敗者には間違いないのだと、気持でも納得できたのだ。カップル見ても、顔色が変わることも無く、彼女がいる人間とも普通に喋れるようになった、少し卑屈だったかもしれないが。
そうしたら、彼女ができた。不思議なものだ、切実に欲しいと思っていた時には全くできなかったのに。
何で俺と付き合おうと思ったか聞いたが、彼女もわからないと言っている。なんとなく、付き合い始めて、もう一年と少しになる、結婚も考えている。
チルチルミチルの「青い鳥」ではないけど、諦めたら、手に入った。顔が不細工なのは変わっていない、彼女も、決して顔で選んではいないと言っている。
しかし、顔のコンプレックスが解消されたわけではない、願わくば、もし子供ができたなら、俺に似ないことを切に祈るのみだ。
さて、コンプレックスについてほとんど話せていない気がするので、ここからは、コンプレックスとの付き合い方を考えていこうと思う。
よくある話だが、コンプレックスの昇華である。バネにして跳ね返すという話なのだが、そんなことできる人間など一握りしかいないと思う。所詮、人間は弱いものなんだから、妥協して生きていく生き物である。「コンプレックスがあってよかった」なんて言える人間は数少ない。何かの才能がないとね。
では、どう妥協するか、それに尽きるような気がする。
諦める、これが一番だと思う。生まれ持ったものは捨てようがないんだから。製造責任者である親を恨んだって、解決するわけではないんだから、それならば、いっそ諦めて、少しでも面白く生きていった方が、ましでは無かろうか。
好きな言葉に「無理なことは無理」という言葉がある。人間、できることには限りがあり、それ以上を望んでも、無理だということだ。決してネガティヴな意味ではない。
コンプレックスを持っている以外の面で、なんかできるやろ、やってみて、できなかったら、また他を探せばいい。「これだけは負けない」面なんて持つ必要は無いのだ。「何とか人並み」にできたら御の字である。「己を知る」とでも言うかな、自分を理解しなければならない。
30歳になった時の俺がそうだった。この顔は変わらない、絶対モテない、でも、普通に生きていくことはできる、少々、老後に不安はあるが、一人でも生きていけるやん、こんな心境だった。
下手にコンプレックスに勝とうと気負っている状態だと、自分が見えていない、逆に自分の短所ばかり見つけてしまうものだ。「できない」ではなく、「ここまではできる、これ以上は無理」という限界を発見したと思えばいい。そして、発見した限界までは頑張る、最低のラインを決めるのだ。
そうすれば、自分で自分を褒めていい、俺はそう思う。
コンプレックス、これを忘れてはいけないと思う、でも、これに囚われてしまうのはもっといけないと思うのだ。自分のできること、それをやり遂げよう。そうするしかないんだから。
日本語に直すと、劣等感になるのかな。
さて、俺自身のコンプレックス、ズバリ「顔」である。もっと男前やったらなあ、と涙で枕を何回濡らしたことか。
全くモテない、これでもかって言うほどモテない。なんか前世でえらい悪いことでもしたんか、って言うほどモテない。もしや先祖の業の影響か、って思うほどモテない。
「男は中身だ」なんてことを何回言われただろう、全然信じていない、信じられない。大体、そういうことを云う奴にはたいてい彼女がいる。上から目線の発言なのである、信じろっていう方が無理だ。
じゃあ、この顔で産まれてみなさい、これまでの人生送ってみなさい、そんな気休め言えなくなるから。それをやってから口をきけってんだ。
昨今の世間の恋愛至上主義は、俺のようなモテない人間には住みにくい。彼女、嫁の居る人間が勝者、居ない人間が敗者なのだから。
では、どうすればモテるのか?ガキの頃は勉強を頑張った。ああ、地元でも有数の進学校に通ったよ。高校では野球をした。野球好きなのもあったが、モテると思って始めたのも否めない。
結果、モテなかったよ。不細工は何やってもダメだってこと、それがわかった。
「今は誰とも付き合うつもりはない」って俺を振った子が、同じクラスの男前と手をつないで帰るのを目撃したこともある。頭の偏差値ではなく、顔の偏差値がものをいう世界なんだと分かった。
でも、誰かを好きになることは止めなかった、止められなかった。何人に振られようとも、俺の良さがわかる相手が見つかるなんて思ってた。
彼女がいる奴は敵だと思っていた。あからさまな敵視である。とくに男前な奴は口もきかなかった。
何回親を恨んだだろう、同じ遺伝子をついでいる弟はモテるのに、なぜ俺はモテないんだと。
一番悲惨な経験は、クリスマスイブの夕方、仕事でジャスコに商談に行った際、店の中はカップルだらけ、マシンガンがあれば、迷わず乱射していたと思う。一歩、一歩、歩くたびにダメージを受ける。商談相手に「寝不足?」と聞かれるほど眼が赤くなっていたのだ。
大体。カップルを見たら、俺を馬鹿にしていると思う。「お前にはこんなことできないだろう?」と上から目線で見せつけられていると思ってしまうのだ。悔しい、決して羨ましいとは認めない、ただ、馬鹿にされているのが悔しい。被害妄想だとは分かっている、しかし悔しいではないか。馬鹿にされているのに何もできないことが。彼女連れを殴ったら解決するわけでもなく、「つまらぬ物を殴ってしまった」とか思うだけなのだろうが。
「悟り」を開いたら、こんな気持ちにもならないのかなあ、とか思ったが、こんな理由で開かれたら、お釈迦さま以下、過去の賢人と言われた人々に申し訳がない気もする。
二次元に逃走しようとしたこともあるが、所詮、あれは絵だ。俺には無理だった。
しかし、なぜ、モテないのか。たくさんにモテなくてもいい、一人から好きになってもらいたいだけなのに。そんなささやかな望みすら叶わないことに絶望し、死のうと思ったこともある。
生まれ変わったら、絶対男前に生まれてやる、それよりも、怨霊となって、世の中のカップルたちに復讐してやろうとか考えていたこともある。陽気な心霊写真に写ってやるとか。怨霊になれる自信がなかったので、自殺はしなかったのだが。
大学に入ってからも、やはりモテなかった。女の子が多いという理由で、英会話サークルに入ったが、顔が悪いと、相手にもされない。
いつもつるんでいるのは男ばかり、その中で彼女ができた奴は外れていった。俺の機嫌が悪くなるからである。見下されてると感じるからである。そういう奴は、紹介しようとも思わないらしく、俺の姿をみると逃げるように去っていくのだ、困ったものだ、俺だって、別にすぐには殴ったりしないというのに。
しかし、そんな中にも、俺も女性と付き合うことができた。大学2年の時だ。理由は、「自分より背の高い人がなかなかいないから」という175センチの同い年の女性。
185ある慎重に感謝した。親父が180ちょい、おふくろが170ちょいある俺の両親に生まれて初めて感謝した。すぐに別れてしまったが。
しかし、一度は好きになってもらえたわけだ、この顔でも。別れた時はショックだったが、でも、この顔でも生きていけると思った。
大学を出て、社会人になってからは、強く結婚願望を持っていた。30歳までには結婚していたいと、ある意味強迫観念みたいなものを持っていた。
しかし、結果的に、今、31歳であるが、いまだ独身である、一応、彼女はいるのだが。
30歳になった時は、結婚を諦めた。まず、相手がいない、そして、30過ぎてから恋愛するのが恥ずかしいと思っていたのだ。いい歳こいて何やってんだ、と。
諦めた瞬間、まるで、憑きものが落ちたように気が楽になった。重荷を背中からおろしたというのか、自分をは医者だと認めることに抵抗が無くなった。何と言い訳しても、敗者には間違いないのだと、気持でも納得できたのだ。カップル見ても、顔色が変わることも無く、彼女がいる人間とも普通に喋れるようになった、少し卑屈だったかもしれないが。
そうしたら、彼女ができた。不思議なものだ、切実に欲しいと思っていた時には全くできなかったのに。
何で俺と付き合おうと思ったか聞いたが、彼女もわからないと言っている。なんとなく、付き合い始めて、もう一年と少しになる、結婚も考えている。
チルチルミチルの「青い鳥」ではないけど、諦めたら、手に入った。顔が不細工なのは変わっていない、彼女も、決して顔で選んではいないと言っている。
しかし、顔のコンプレックスが解消されたわけではない、願わくば、もし子供ができたなら、俺に似ないことを切に祈るのみだ。
さて、コンプレックスについてほとんど話せていない気がするので、ここからは、コンプレックスとの付き合い方を考えていこうと思う。
よくある話だが、コンプレックスの昇華である。バネにして跳ね返すという話なのだが、そんなことできる人間など一握りしかいないと思う。所詮、人間は弱いものなんだから、妥協して生きていく生き物である。「コンプレックスがあってよかった」なんて言える人間は数少ない。何かの才能がないとね。
では、どう妥協するか、それに尽きるような気がする。
諦める、これが一番だと思う。生まれ持ったものは捨てようがないんだから。製造責任者である親を恨んだって、解決するわけではないんだから、それならば、いっそ諦めて、少しでも面白く生きていった方が、ましでは無かろうか。
好きな言葉に「無理なことは無理」という言葉がある。人間、できることには限りがあり、それ以上を望んでも、無理だということだ。決してネガティヴな意味ではない。
コンプレックスを持っている以外の面で、なんかできるやろ、やってみて、できなかったら、また他を探せばいい。「これだけは負けない」面なんて持つ必要は無いのだ。「何とか人並み」にできたら御の字である。「己を知る」とでも言うかな、自分を理解しなければならない。
30歳になった時の俺がそうだった。この顔は変わらない、絶対モテない、でも、普通に生きていくことはできる、少々、老後に不安はあるが、一人でも生きていけるやん、こんな心境だった。
下手にコンプレックスに勝とうと気負っている状態だと、自分が見えていない、逆に自分の短所ばかり見つけてしまうものだ。「できない」ではなく、「ここまではできる、これ以上は無理」という限界を発見したと思えばいい。そして、発見した限界までは頑張る、最低のラインを決めるのだ。
そうすれば、自分で自分を褒めていい、俺はそう思う。
コンプレックス、これを忘れてはいけないと思う、でも、これに囚われてしまうのはもっといけないと思うのだ。自分のできること、それをやり遂げよう。そうするしかないんだから。
第18回 音楽的な好み?好き嫌いは激しいな。
今回は、暑くて寝られないので、眠くなるまで、思いつくままにつらつら書いていこうと思う。
最近、PC内の音楽データの整理をしてみた。
曲名と、アーティスト名、さらにはタイトルをもう一度整理し直し、アーティスト毎にフォルダの整理をしたのだ。同じ曲が少し違う名前で入っていたり、曲名が間違っていたり、いろいろ訂正しながらの作業はなかなか楽しかった。
爆風スランプ、キロロに関しては、大全集とも言うべきものが出来上がり、非常に満足している。
ま、アルバム、シングル全部持ってるのをPCに取り込んだからなのだが。
しかし、ファイル交換ソフトというのがいろいろと怖いんで、そういうものはPCに入っていないため、音楽データは基本的に持っているCDからの取り込みのはずなのだが、どう考えても、入手経路がわからないものがある。まあ、連れからもらった、もしくは借りたCDから入ってきたのだろうが、何でこんな曲を?というものがあるため、時折、自分がわからなくなる。
しかし、音楽というものは、聞いていると、聞いていた当時のことを思い出すものだ。別に流行っていたときじゃなくても、カラオケで聞いた時の話も思い出すのだが。
俺の場合、世間の流行とかなり時差があり、好きな歌手の曲しか聴かないから、曲の時代と、西暦が一致していないことが多い。
高校入試の時は、爆風スランプの『runner』を聞きながら受験に向かったし、大学受験のときには『旅人よ』を聞きながら向かった。おふくろの葬儀前には槇原敬之の『Green days』を聞いていたし、今の彼女と付き合い始めたときは、プリンセスプリンセスの『世界で一番暑い夏』をよく聞いていた。
初めて買ったCDはサザンの『真夏の果実』。常に移動の際には何か音楽を聴いていた気がする。
高校の通学途中には、爆風スランプか、槇原か、長渕。大学の通学途中も、そのローテーションは変わらなかったなあ。
大学2年の秋、一人暮らしを始めて、初めて買ったのはキロロのアルバムだった。
サークルの合宿のため、12月の夜中に広島の呉に向かう途中、原付を運転しながら聞いていたのは、BOOWYの『マリオネット』だった。大学3年の夏、原付で四国一周をしたときは岡本真夜の『会いたくて』聞いていなあ。
社会人になってすぐの頃、営業車のカーステで聞いていたのは、玉置浩二の『田園』だったなあ。
初めて自分の車を買って、その車での初めてのドライブで聞いたのは、吉川晃司の『せつなさを殺せない』だったなあ。
これからも、いろいろな出来事とともに、その時聞いていた曲を覚えていくんだろうなあ、俺。
結婚前夜、子供が生まれる前、どんな曲を聞いているのだろう。
そして、人生で最後の瞬間、どの曲を思い出すのだろう。死ぬ前に走馬灯を見るとしたら、一緒に曲も聞きたいな。やかましい走馬灯になりそうだが。
さて、曲の好みなのだが、大してポリシーなど無い。ちょっと聞いて、気に入ったらそれを聞くというのがスタンスだ。歌詞がどうのとか、楽器がどうのとかはほとんど気にしていない。
あと、カラオケのためにきく曲というのもある。俺は自分が不細工であると自覚しているので、唄う歌にも気を使っているのだ。間違ってもスマップなど歌わない。福山雅治も唄えない。いろんな人を敵に廻すのがわかっているからだ。ま、スマップ嫌いというのもあるが。
大学の時、雑談の中で、あの人があの唄を歌うのはいただけないといった陰口を聞いたことがあり、その時、無茶は止めとこうと誓ったのだ。流行りの唄を歌えばいいというものでもないし。
あと、野球やサッカーの試合の前にはプロレスラーの入場曲を聞いている。闘争本能をかき立てるためだ。サッカーの時はユニフォームも黒で統一し、蝶野正洋の『Crush』を聞きながらサングラスをかけて岡山に向かう。これが一番しっくりくる。
あと、河村隆一の曲を聞くと、なんだか恥ずかしくなるのはなぜだろう。両手が丸まってしまう。「スルメの気持ちがわかる歌」と名付けている。LUNA SEAの時はそうではなかったんだが、何でだ?
そういえば、大学の時に女の子の前で唄う歌にこだわりを持っている奴がいたなあ、狙ってる子の前ではGLAYの『ずっと二人で』を絶対に唄うみたいな感じで。聞いているこっちが恥ずかしくなったものだ。二人でやってくれ、少なくとも、俺のいないところで。
そういえば、昔のケータイの着信音、自分で打ち込んでたなあ。今のは複雑でできないが、初期の単音だった頃。『runner』とか、『栄冠は君に輝く』(元高校球児の意地)とか。
着メロの電子音が好きなんで、今でも着うたは使っていない、着信音で誰からかわかる様にしていた頃もあったなあ。実家からのは『エクソシスト』だった。
さて、三十路に足を突っ込んで、演歌が親しみやすくなってきた気がする。次のカラオケでは、何か演歌を唄ってやろう。これも歳をとったということなのだろうか、少し寂しい気もするなあ。
最近、PC内の音楽データの整理をしてみた。
曲名と、アーティスト名、さらにはタイトルをもう一度整理し直し、アーティスト毎にフォルダの整理をしたのだ。同じ曲が少し違う名前で入っていたり、曲名が間違っていたり、いろいろ訂正しながらの作業はなかなか楽しかった。
爆風スランプ、キロロに関しては、大全集とも言うべきものが出来上がり、非常に満足している。
ま、アルバム、シングル全部持ってるのをPCに取り込んだからなのだが。
しかし、ファイル交換ソフトというのがいろいろと怖いんで、そういうものはPCに入っていないため、音楽データは基本的に持っているCDからの取り込みのはずなのだが、どう考えても、入手経路がわからないものがある。まあ、連れからもらった、もしくは借りたCDから入ってきたのだろうが、何でこんな曲を?というものがあるため、時折、自分がわからなくなる。
しかし、音楽というものは、聞いていると、聞いていた当時のことを思い出すものだ。別に流行っていたときじゃなくても、カラオケで聞いた時の話も思い出すのだが。
俺の場合、世間の流行とかなり時差があり、好きな歌手の曲しか聴かないから、曲の時代と、西暦が一致していないことが多い。
高校入試の時は、爆風スランプの『runner』を聞きながら受験に向かったし、大学受験のときには『旅人よ』を聞きながら向かった。おふくろの葬儀前には槇原敬之の『Green days』を聞いていたし、今の彼女と付き合い始めたときは、プリンセスプリンセスの『世界で一番暑い夏』をよく聞いていた。
初めて買ったCDはサザンの『真夏の果実』。常に移動の際には何か音楽を聴いていた気がする。
高校の通学途中には、爆風スランプか、槇原か、長渕。大学の通学途中も、そのローテーションは変わらなかったなあ。
大学2年の秋、一人暮らしを始めて、初めて買ったのはキロロのアルバムだった。
サークルの合宿のため、12月の夜中に広島の呉に向かう途中、原付を運転しながら聞いていたのは、BOOWYの『マリオネット』だった。大学3年の夏、原付で四国一周をしたときは岡本真夜の『会いたくて』聞いていなあ。
社会人になってすぐの頃、営業車のカーステで聞いていたのは、玉置浩二の『田園』だったなあ。
初めて自分の車を買って、その車での初めてのドライブで聞いたのは、吉川晃司の『せつなさを殺せない』だったなあ。
これからも、いろいろな出来事とともに、その時聞いていた曲を覚えていくんだろうなあ、俺。
結婚前夜、子供が生まれる前、どんな曲を聞いているのだろう。
そして、人生で最後の瞬間、どの曲を思い出すのだろう。死ぬ前に走馬灯を見るとしたら、一緒に曲も聞きたいな。やかましい走馬灯になりそうだが。
さて、曲の好みなのだが、大してポリシーなど無い。ちょっと聞いて、気に入ったらそれを聞くというのがスタンスだ。歌詞がどうのとか、楽器がどうのとかはほとんど気にしていない。
あと、カラオケのためにきく曲というのもある。俺は自分が不細工であると自覚しているので、唄う歌にも気を使っているのだ。間違ってもスマップなど歌わない。福山雅治も唄えない。いろんな人を敵に廻すのがわかっているからだ。
大学の時、雑談の中で、あの人があの唄を歌うのはいただけないといった陰口を聞いたことがあり、その時、無茶は止めとこうと誓ったのだ。流行りの唄を歌えばいいというものでもないし。
あと、野球やサッカーの試合の前にはプロレスラーの入場曲を聞いている。闘争本能をかき立てるためだ。サッカーの時はユニフォームも黒で統一し、蝶野正洋の『Crush』を聞きながらサングラスをかけて岡山に向かう。これが一番しっくりくる。
あと、河村隆一の曲を聞くと、なんだか恥ずかしくなるのはなぜだろう。両手が丸まってしまう。「スルメの気持ちがわかる歌」と名付けている。LUNA SEAの時はそうではなかったんだが、何でだ?
そういえば、大学の時に女の子の前で唄う歌にこだわりを持っている奴がいたなあ、狙ってる子の前ではGLAYの『ずっと二人で』を絶対に唄うみたいな感じで。聞いているこっちが恥ずかしくなったものだ。二人でやってくれ、少なくとも、俺のいないところで。
そういえば、昔のケータイの着信音、自分で打ち込んでたなあ。今のは複雑でできないが、初期の単音だった頃。『runner』とか、『栄冠は君に輝く』(元高校球児の意地)とか。
着メロの電子音が好きなんで、今でも着うたは使っていない、着信音で誰からかわかる様にしていた頃もあったなあ。実家からのは『エクソシスト』だった。
さて、三十路に足を突っ込んで、演歌が親しみやすくなってきた気がする。次のカラオケでは、何か演歌を唄ってやろう。これも歳をとったということなのだろうか、少し寂しい気もするなあ。
第16回 テンノウセイ?ああ、惑星じゃなくなったやつ?
今回のテーマはかなり危険なものと考えております。
ま、誰も見ていないこんなブログで何書こうとも、命を狙われたりはしないだろう、とある意味自虐的な自己弁解をしつつ、話を始めることにします。
ま、ズバリ、賛成か反対かって聞かれたら、賛成ですよ。
万歳!!って叫びながら敵艦に向かって突撃しろと言われたら、反対になるかもしれませんが。
まず、存在意義、よその国から、偉い人(政治的重要な地位にいる人)が日本に来た時、もてなす人が、いないと困る。さらに、よその国の偉い人(政治的以下略)が死んだりしたときに、日本を代表して弔問に行く人がいないと困る。
総理大臣とかもいるんだけどね、毎年違う人がやってたりするから、それは都合が悪いと思うのよ。
ま、漢字も読めない奴が弔問に行くってのも変な話だし、一昔前なら、芸者だか、浮気相手だかに手切れ金渡したの渡さないのって揉めた奴でもなれる立場の人間に日本を代表されたくないし。
別に、政治的権力を持ってないわけで、国民の生活に何の影響も及ぼしてないと思うから、目くじら立てて廃止しろなんていう人の気持ちがわからない。
確かに、戦前は現人神?いわゆる神様扱いされてて、政治も軍事も最高責任者だったらしいけど、天皇一人で戦争は始められんでしょ。それを戦争責任やら、なんやらと言われてしまうのはかわいそう、こんな言い方逆に失礼ではないかと思うが、もう、ええんちゃうの?いまさら何を言っても始まらへんやん、と思う。
戦争して、勝っても負けても、皇族の人たちには得も損も無かったと思うし、そりゃあ、A級とかB級だかの戦犯として裁かれてないやんと言う人もいるが、皇族の人たちに拒否権は無かったんじゃないの?
俺は、戦争当時生まれて無かったし、俺の両親も戦後生まれだ。ま、御先祖が戦争の犠牲になっていないから、両親も、俺も存在してるわけで。
戦争当時の御先祖は苦労したと思うが、生き残れたわけだから、よしとしようと思う。
飲み屋をハシゴするみたいに、「じゃ、戦争すっか?」みたいな軽いノリで始めたわけでもないだろうから、今の価値観で、「戦争はいけません」なんて軽く言ってはならないと思う。
それよりも、だ。ここで言いたいのは、皇室への報道の姿勢だ。
ワイドショーで取り上げるな。価値が下がる、というと変なものいいかもしれないが、もう少し、「大事なもの」として扱えないものか?
せめて、スキャンダルや、街往くおばさんのファッションチェックなどと同列に放送するな。憲法にも規定してあるんだろう、「国民の象徴」って。
報道で、「開かれた皇室」なんて言葉を錦の御旗に、ガンガン放送するな。「ご静養」について行くな、「静養」の言葉の意味知らんのか?逆にストレスたまるぞ、あれでは。
皇室よりも、「政治家」に密着しろ、まじめに仕事せにゃいかんのはそっちなんだから。下手に悪いことできないくらいに密着してみろってんだ。皇室は悪いことできないよ、権力が無いから。
政治家は商売だが、皇室は宿命だ。その家に生まれちまったら、逃げようがない。戸籍も無いわけで、車の免許も取れないらしいじゃないか。
あれ?じゃあ、海外行く時はパスポートとかないの?
ま、空港で通関に時間がかかったりはしないと思うのだが、そこのところ、どうなんだろう?
鞄の中ひっ掻き回されたりはしないよねえ。されるとしたら、失礼だろう。
国民全員で敬え、崇め奉れなんて思わないが、大事にしようではないか。
世界で一番長い家系なんだから。「万世一系の」なんて大げさな言い方しなくてもいいから。
あと、女性天皇、別にいいんで無いの?
イギリス王室も、女王やんか。
大丈夫、変な奴が婿入りできへんって。宮内庁とか、何のためにあるねん。それこそ、立派なお家柄の人しかお近づきにはなれんやろ。
ま、女性天皇が即位して、バツイチ子持ちの男とご成婚なんてことになったら、宮内庁なんかは解散せんといかんやろけどさ。そこまで、お役人も無能ではないだろう。ま、ある意味期待を裏切るのがお役人なんだが。
あと、皇位継承順位、この言葉聞くと、キン肉マンを思い出してしまうのは、俺だけなんだろうか?あっちは王位継承トーナメントかなんかだった気もするが。
ま、端的に言うなら、皇室にはそっとしとけ、「開かれた」って言葉は、あまり適切じゃあないと思う。なんかの行事、イベントの際に報道するぐらいでちょうどいいんでは無かろうか。
ま、誰も見ていないこんなブログで何書こうとも、命を狙われたりはしないだろう、とある意味自虐的な自己弁解をしつつ、話を始めることにします。
ま、ズバリ、賛成か反対かって聞かれたら、賛成ですよ。
万歳!!って叫びながら敵艦に向かって突撃しろと言われたら、反対になるかもしれませんが。
まず、存在意義、よその国から、偉い人(政治的重要な地位にいる人)が日本に来た時、もてなす人が、いないと困る。さらに、よその国の偉い人(政治的以下略)が死んだりしたときに、日本を代表して弔問に行く人がいないと困る。
総理大臣とかもいるんだけどね、毎年違う人がやってたりするから、それは都合が悪いと思うのよ。
ま、漢字も読めない奴が弔問に行くってのも変な話だし、一昔前なら、芸者だか、浮気相手だかに手切れ金渡したの渡さないのって揉めた奴でもなれる立場の人間に日本を代表されたくないし。
別に、政治的権力を持ってないわけで、国民の生活に何の影響も及ぼしてないと思うから、目くじら立てて廃止しろなんていう人の気持ちがわからない。
確かに、戦前は現人神?いわゆる神様扱いされてて、政治も軍事も最高責任者だったらしいけど、天皇一人で戦争は始められんでしょ。それを戦争責任やら、なんやらと言われてしまうのはかわいそう、こんな言い方逆に失礼ではないかと思うが、もう、ええんちゃうの?いまさら何を言っても始まらへんやん、と思う。
戦争して、勝っても負けても、皇族の人たちには得も損も無かったと思うし、そりゃあ、A級とかB級だかの戦犯として裁かれてないやんと言う人もいるが、皇族の人たちに拒否権は無かったんじゃないの?
俺は、戦争当時生まれて無かったし、俺の両親も戦後生まれだ。ま、御先祖が戦争の犠牲になっていないから、両親も、俺も存在してるわけで。
戦争当時の御先祖は苦労したと思うが、生き残れたわけだから、よしとしようと思う。
飲み屋をハシゴするみたいに、「じゃ、戦争すっか?」みたいな軽いノリで始めたわけでもないだろうから、今の価値観で、「戦争はいけません」なんて軽く言ってはならないと思う。
それよりも、だ。ここで言いたいのは、皇室への報道の姿勢だ。
ワイドショーで取り上げるな。価値が下がる、というと変なものいいかもしれないが、もう少し、「大事なもの」として扱えないものか?
せめて、スキャンダルや、街往くおばさんのファッションチェックなどと同列に放送するな。憲法にも規定してあるんだろう、「国民の象徴」って。
報道で、「開かれた皇室」なんて言葉を錦の御旗に、ガンガン放送するな。「ご静養」について行くな、「静養」の言葉の意味知らんのか?逆にストレスたまるぞ、あれでは。
皇室よりも、「政治家」に密着しろ、まじめに仕事せにゃいかんのはそっちなんだから。下手に悪いことできないくらいに密着してみろってんだ。皇室は悪いことできないよ、権力が無いから。
政治家は商売だが、皇室は宿命だ。その家に生まれちまったら、逃げようがない。戸籍も無いわけで、車の免許も取れないらしいじゃないか。
あれ?じゃあ、海外行く時はパスポートとかないの?
ま、空港で通関に時間がかかったりはしないと思うのだが、そこのところ、どうなんだろう?
鞄の中ひっ掻き回されたりはしないよねえ。されるとしたら、失礼だろう。
国民全員で敬え、崇め奉れなんて思わないが、大事にしようではないか。
世界で一番長い家系なんだから。「万世一系の」なんて大げさな言い方しなくてもいいから。
あと、女性天皇、別にいいんで無いの?
イギリス王室も、女王やんか。
大丈夫、変な奴が婿入りできへんって。宮内庁とか、何のためにあるねん。それこそ、立派なお家柄の人しかお近づきにはなれんやろ。
ま、女性天皇が即位して、バツイチ子持ちの男とご成婚なんてことになったら、宮内庁なんかは解散せんといかんやろけどさ。そこまで、お役人も無能ではないだろう。ま、ある意味期待を裏切るのがお役人なんだが。
あと、皇位継承順位、この言葉聞くと、キン肉マンを思い出してしまうのは、俺だけなんだろうか?あっちは王位継承トーナメントかなんかだった気もするが。
ま、端的に言うなら、皇室にはそっとしとけ、「開かれた」って言葉は、あまり適切じゃあないと思う。なんかの行事、イベントの際に報道するぐらいでちょうどいいんでは無かろうか。



